WBC第3戦 陸前高田市出身の佐々木朗希選手が登板
やえぞうです。
今日は3月11日。
震災から12年の月日が経ちました。
私たちの防災の活動も、次年度で12年の月日を迎えます。
小学校に入学した子どもが、高校を卒業する。12年とはそれくらい長い時間で。被災された人々の心の復興と、被災地の街の復興が一歩一歩進んでいくことを、願ってやみません。
さて、わたくし本日はワールド・ベイスボール・クラッシック第3戦。チェコ戦をTVで観戦。
陸前高田市出身の千葉ロッテマリーンズ所属の佐々木朗希選手が先発登板。佐々木選手にとっては侍ジャパンデビュー戦となりました。
チェコチームは守備が素晴らしく、日本チームは前半得点が得られず苦しいスタートとなりましたが、佐々木選手の好投もあり、最終的に勝利することができました。爽やかな熱戦でしたね。
佐々木選手は陸前高田市の出身。スタンドには被災地への応援メッセージも見受けられました。
佐々木選手は2011年の東日本大震災の津波で父親と祖父母を亡くし、実家も流されたそうです。
当時、朗希少年は地元の少年野球チームに所属する野球少年だったそうですが、将来、野球選手になりたいとか、そういう気持ちはあまりなかったそうです。
震災から2年後。
2013年の日本シリーズ。
朗希少年12歳の誕生日。
ちょうどその日に球団創立9年目で初の日本シリーズに出場した楽天イーグルスが優勝。その試合を、小学校の仮設住宅のTVで観戦した朗希少年はプロの野球選手になることを決意したそう。
その朗希少年が、10年後。
3月11日、震災のその日に。
侍ジャパンのマウンドに立ち、被災地に日本中にエールを送るような素晴らしい熱投をする。
野球に励まされた子どもが、野球で人を励ます選手になる。
12年の時の重みと、支援する、される、ということ。
上手く言えないけれど、胸がいっぱいになるWBC第3戦でした。
まる。
今日は3月11日。
震災から12年の月日が経ちました。
私たちの防災の活動も、次年度で12年の月日を迎えます。
小学校に入学した子どもが、高校を卒業する。12年とはそれくらい長い時間で。被災された人々の心の復興と、被災地の街の復興が一歩一歩進んでいくことを、願ってやみません。
さて、わたくし本日はワールド・ベイスボール・クラッシック第3戦。チェコ戦をTVで観戦。
陸前高田市出身の千葉ロッテマリーンズ所属の佐々木朗希選手が先発登板。佐々木選手にとっては侍ジャパンデビュー戦となりました。
チェコチームは守備が素晴らしく、日本チームは前半得点が得られず苦しいスタートとなりましたが、佐々木選手の好投もあり、最終的に勝利することができました。爽やかな熱戦でしたね。
佐々木選手は陸前高田市の出身。スタンドには被災地への応援メッセージも見受けられました。
佐々木選手は2011年の東日本大震災の津波で父親と祖父母を亡くし、実家も流されたそうです。
当時、朗希少年は地元の少年野球チームに所属する野球少年だったそうですが、将来、野球選手になりたいとか、そういう気持ちはあまりなかったそうです。
震災から2年後。
2013年の日本シリーズ。
朗希少年12歳の誕生日。
ちょうどその日に球団創立9年目で初の日本シリーズに出場した楽天イーグルスが優勝。その試合を、小学校の仮設住宅のTVで観戦した朗希少年はプロの野球選手になることを決意したそう。
その朗希少年が、10年後。
3月11日、震災のその日に。
侍ジャパンのマウンドに立ち、被災地に日本中にエールを送るような素晴らしい熱投をする。
野球に励まされた子どもが、野球で人を励ます選手になる。
12年の時の重みと、支援する、される、ということ。
上手く言えないけれど、胸がいっぱいになるWBC第3戦でした。
まる。
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